人間らしく生きるためには無駄が必要である!

「エコといわれていること」のエネルギーや資源消費を考えると、大抵の場合、それらを節約するどころか浪費していることがわかる。浪費しているからやめた方がよいとか無意味だとかいう人もいる。エネルギーや資源の浪費(無駄)が悪いことかどうか、人間の生きている意味という観点から考えてみる。

進化の過程では、人間が繁殖するために寄与するような遺伝子が増殖した。いうまでもないが、これは、人間が繁殖しないことに寄与する遺伝子を持つ個体は遺伝子ごと淘汰されるためである。だから人間は繁殖する。人間が繁殖するのは遺伝子の組み合わせの結果によるものであり、繁殖が存在意義かもしれないが、それは他の生物と同じで、人間であることによる特別な意味はない。

原始の人間は繁殖するだけで精一杯だったが、この1万年の異常に安定した気候の下での農耕の始まりなどで少しづつゆとりが生まれ、文明が出現した。文明はさらにゆとりを生み、人間は文化を生み出した。

典型的には、人は、学校で勉強をして、就職して勤勉に働いて、結婚して、子供を作り、子供を教育し、子供の結婚を見届け、孫の顔を見て死ぬ。この過程で、様々な喜びや苦しみがあり、芸術・スポーツ・社会活動などを楽しんだりそれらに貢献したりする。

このような過程の中に生物一般とは違う、人間特有の生きている意味(意義?)があると仮定しよう。そのような過程は、原始人のレベルで繁殖するためだけに生きる場合に比べて、エネルギーや資源を大変に浪費していることが明らかである。したがって、「エネルギーや資源を浪費すること(無駄)=よくないこと」という短絡的な考えは多分間違いだ。

ただし、「エネルギーや資源を節約します」といって実際は浪費しているのを見るとそのウソか間違いかを正したくなってしまう。私がいつも正しいわけではないし、自分のこともよく棚にあげるが、幼い頃からこういう妙な正義感があった。